空の下を歩く

旅と日常。空の下を歩きましょう。胃がん闘病記としてはあまりお役にたてないかも。

CTはもういやだ

 

 手術後もうすぐ3か月。今日は検査の日。血液検査とCTスキャンを受けてきた。

私の胃がんはステージ1Aで、手術ですっかり切除し、リンパ節等への転移もなくがんそのものは経過順調である。だが、入院中に肺動脈血栓ができたのと、膵液漏で退院後に発熱したりしたので、先生が大事をとって短い間隔でチェックをしてくださる。今日は検査のみで、結果を内科の先生にも見てもらい来週主治医から説明がある予定。

 CTは苦手。入院中に2回目の検査を受けた時にとても気持ち悪くなって嘔吐してしまった。3回目は膵液漏の高熱でふらふらしていたからよく覚えていない。もしかしたら造影剤を使わなかったのかもしれない。よくわからない。

 さて、CTスキャン4回目の今日。体調は悪くなく、普通に臨んだのだが・・・ また、きてしまった・・・咳き込むと同時に強い吐き気。うー、気持ち悪い(泣。 点滴に吐き気止めを入れてもらってようやく落ち着いた。どうやら、私は造影剤でアレルギーが出るらしい。でも、今後も年に1回とか2回とか受けなくてはいけないのだろうな。いやだなあ・・・(´・ω・`)

 病院に行くと、自分が健康体ではないのだということを思い知らされる気がする。一人前が食べられないだけであとはほぼ(たぶん)元気なはず、なんだけどな。まだまだすっかり「健康」とは言えないのかな。点滴も検査ももう縁切りしたい。無理だけど。

 

術後4日目?のお食事。具なしだけど、お味噌汁がうれしかった。

 

 

 


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これからどうする

 ずっと時間がほしかった。毎朝5時半に起きて、夫より早く家を出る。

都内まで片道90分の通勤。9時間拘束8時間実働の職場だったから、帰宅するのは残業なしで最速18時半過ぎ。我ながらよく続いたと思う。病気をして手術をして、もはや以前のような勤務は無理だと思った。夫にも強く反対された。

 正社員で11年やってきた。それまでパートや派遣社員でつないできて、40代半ばで見つけた事務系の正社員だったから、本当にラッキーだったと思う。それを手放すのは、本当はとても残念だ。もはや、事務系の仕事につくことはできないだろう。体力を考えると、立ち仕事よりは楽なのだけれど。

 以前の記事にも書いたように、今の会社では、希望した時短の勤務は難しそうだ。実際、時短勤務者(と言っても7時間実働)の募集はかけているそうだ。ただし、11時から19時までの勤務。それでは困る。

 結局、辞めざるを得ないのではないか、と思い始めている。

辞めて、すっきりして、旅にでもでようかと。

実際はそんなのんきな話ではない。病院の証明書発行にものすごく時間がかかっているので、社会保険傷病手当金もまだ申請できていない。辞めるとなると、おそらく「自己都合」扱いとされ、失業保険がおりるには3か月待たねばならないだろう。夫の扶養に入って、当面はやっていけるだろうが、その先、老後の備えをどうしよう。我が家は驚くほど貯えがない。(いばることではない・・・)普通なら旅どころではないのだろう。今までずっと共働きだったから、4人分の教育費の山をようやく越え、ここ数年はそこそこやってきたのだが。

 どちらかというと『アリとキリギリス』のキリギリスなので、人生楽な方に流れてしまうのだ。それなら自分のせいでしょう?

 いろいろと頭のなかでぐだぐだ考えながら、気持ちは行きつ戻りつしながら、実はほとんどもう決めてしまっている。いや、自分はそうするだろうと思っている。

会社を辞めて、時間を手に入れて、旅に行く。来年早々、娘の二人目の子どもの出産があるからその手伝いにも行く。それが済んだらパートを探そう。近くのスーパーのレジでもいい。昔取った杵柄、なんとかなるのではなかろうか。

 ここ数年、いろいろなことがあり過ぎる。流れに流されるなら、それも良いのかもしれないなどと思ったりしている。

 

 

#guam 2015

社員旅行にて

 


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母を送って 続き

 母は膵臓がんだった。ちょうど3年前に診断を受け、膵頭十二指腸切除術の手術を受けた。81歳だった。膵臓がんは、がんを扱った本を見ると「予後が(きわめて)悪い」と書いてあることが多い。発見されにくいため、見つかった時には既に進行していることが多いからだという。母の場合も、見つかった段階でステージⅣだった。手術を決断したのは母自身であった。術後はTS-1などの抗がん剤で進行を遅らせていたが、一時は効果があったものの、胃や肝臓に転移していき、より強い抗がん剤を使っても効果は表れず(抗がん剤は進行してしまったがんを「完治させる」ものではないから)、その後は痛み止めなどの薬のみで、積極的な治療はしなかった、いや手段がなかった。

 母は生きることにとても前向きなひとだった。予後が悪い、と言われる膵臓がんで3年間も生き延びたのだ。すごいと思う。痛みを訴えたり、体がつらい、と言うことはあっても、もうだめだ、とは決して口にしなかった。同じ市内に住んで、まめに様子を見て手助けをしてくれた妹によると、「あと5年かしら。(身辺の)整理を急がなくては」と、今年の初めに言っていたという。手術後3年経って、まださらに5年!・・・母上、平均寿命を超えますよ・・・

 県内の大きい病院で手術を受け、体調がとても悪くなると短期で入院をしたりしていたが、多くの時間は自宅で過ごした。母は家事にとても堪能なひとで、料理も得意、自宅の茶室でお茶を教え、教会(クリスチャンである)の活動を熱心に行い、自営業の父の仕事を長年支えた。お酒も強く、食べることも好き。お洒落で、趣味も多く、中年期以降はよく旅行に行き、俳句を作り、本を読み、それでも家のことはきちんとやっていて、まあこのひとはどこから時間を捻出するのだろう、となまけものの不肖の娘は思っていた。

 性格は、きつかった。言葉もきつかった。教会で行われた前夜式(通夜)、葬送式(告別式)の際に挨拶に立った方も、そのようなエピソードをおっしゃっていたので、外でもそうだったのかい!と、妹と苦笑いして申し訳ないやら、少し恥ずかしいやら。でも、親切で情に厚く、手を差し伸べることをいとわないひとだった。言葉はきつかったりしたけれど、決して冷たいひとではなかった。だから、葬儀の際、とてもたくさんの方が集ってくださったのだと思う。母は若い頃教師をしていたのだが、50年以上前の教え子の皆さんが駆け付けてくださったのも、慕われていたからだと嬉しく思った。

 私は母が苦手だった、と以前のブログに書いた。正直に言うとぎりぎりまで、そんな気持ちが抜けなかった。近くにいなかったし、帰省もあまりしなかったので、母とのコミュニケーションは不足していたのだと、今になって思う。母からは毎年、お米や果物が送られてきたし、手紙も来た。お礼の電話はするものの、手紙を書く、ということはあまりしなかったので、母はもしかしたら寂しく思っていたのかもしれない。

 

 母が亡くなったとき、そばにいたのは家族の中で私だけだった。個室に移され、どうなるかわからない状態になった。先が読めないから、一度集まった家族も、いったんそれぞれ帰宅して(私以外は同じ市内に住んでいる)体を休めよう、と言っていた矢先のできごとだった。深夜、看護師さんが血圧等の確認に来た直後、それまで苦しそうに下あごで呼吸していたのが、ふっと静かになった。風がろうそくの炎を吹き消すように、静かな最期だった。

 葬儀は花にうずもれるくらいたくさんの花をいただいた。祭壇の周りに飾り切れず、別室に飾るくらいだった。とても多くの方が、見送りに来てくださった。本当にありがたかった。

 

 今、悲しいかと言えばそういう感じではない。心の中に空虚な部分ができてしまった、という表現であっているかどうか。一番悲しかったのは、棺のなかに花をたくさん入れて蓋を閉めるときだったが、その後はやることが山のようにあり、泣いている暇がなかった。で、あってますか?自分。

自宅に戻ってきて、また日常が始まり、事務的なことや父のことは妹と弟にまかせっきりになってしまった。これでいいのか。いいのだ。きっと。

 

 

 

 

母を送って

 

 母を送って一週間。

葬儀の前後はやることが山積み。

昨日今日は、妹とふたり、あちらこちらの銀行を回って残高証明書の発行手続きに。

まだまだやることがたくさんあるけれど、ひとまず家に戻ってきた。

21日に緊急搬送の連絡を受けて以来2週間。あっという間のような長かったような。

気がかりもたくさん残してきたけれど、遠距離に住まう身としては、妹と弟にお任せするしかない。

まずは、帰宅いたしました。詳しいことは、また明日。

 

 


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実家へ

金曜日、母が救急搬送されたと妹から連絡。

末期癌で自宅療養中である。

新幹線で急ぎ実家へ。

金曜日には、まだ時々意識がしっかりしている時間もあったが、

今日個室に移された。

今日はまた新幹線で自宅に戻り、長期態勢を整えてまた実家へ。

今夜は妹が泊まり込み。

明日は多分私。(父はあてにならず)

思うことは多々あれど、ともかく体力温存。寝ます。

台南の旅

  

 脳内旅行。今いちばん行きたいのは、台湾の台南。

一昨年、生まれて初めてのひとり旅をしたところである。

台北も楽しいけれど、台南は古い町だけあって独特の魅力があった。

行きたいところをたくさんピックアップして臨んだのに、6月の台南は予想よりはるかに暑くて、半分も歩けなかった。残念。

それでも、台南の安平地区をひとりでさまよい歩いたのは、本当に楽しかった。

 

 安平はこんなとこです。 

 www.taipeinavi.com

 

安平の街には「剣獅」と呼ばれる、剣をくわえた獅子の飾りがあちらこちらにある。

表情もさまざまで、探して歩くのが楽しかった。

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こんな旅行記もあるので、良かったらごらんください。

http://4travel.jp/travelogue/11027738

 

台南関係のガイドを調べていたら、良い本にあいました。

美味しそうなものがいっぱい。写真も豊富。

 情報が新しくて参考になりそうです。

レトロな街で食べ歩き! 古都台南へ (旅のヒントBOOK)

レトロな街で食べ歩き! 古都台南へ (旅のヒントBOOK)

 

 

それにしても、台湾は台北以外のガイドブックや関連書籍が増えた。

ちょっとうれしい。

 

 


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旅の記憶 2015 高雄

 時間がぽっかりと空いてしまった。いろいろ考えるとどこまでも落ち込みそうなので、旅のことなど考えている。

いっそ退職して出かけようかと、格安航空券を調べたりホテルを検索したり旅ブログで情報を入れたり、もはや脳内旅行スタンバイである。(ツアーでなく個人旅行が好きなので)

さあ、どこへ行きましょうね?

ヨーロッパは予算的に厳しいから、やっぱり台湾かな。台北もいいけど、高雄と台南にまた行きたいな。前回は暑さに負けて思うように歩けなかったから。

 

 

写真は旅の記憶から。2015年冬の高雄の旅。

地下鉄 KRT(高雄捷運)美麗島駅。美しい駅として有名。

 

 

瑞豊夜市。

高雄では六合観光夜市の方が有名だけれど、こちらはローカル感満載でかえって楽しかった。

www.taipeinavi.com

 

宿泊したホテルのロビーの飾り。旧正月間近だったので、おめでたい赤と金色で。

ひつじ年の羊がかわいい。

 

 

駁二藝術特区。

港町高雄の旧倉庫街をアートの基地にリノベーション。

広々としたところに見ごたえのある作品がたくさん。お洒落なカフェも。

 

www.taipeinavi.com

 

 

 

KRT西子湾駅 近くからフェリーに乗り、旗津の半島へ。

ほんの10分くらいの旅だけど、風がとても気持ちいい。

 

フェリーを降りると、海鮮のお店がたくさん。

好きなものを選ぶとお好みで料理してくれます。

 

 

旗津からまた高雄に戻り、定番観光地へ。

龍虎塔。龍の口から入って虎の口から出ると善人になれるとか。

 

http://4travel.jp/travelogue/11051310

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 さて。善人になれたかどうかあやしいが。

 旅はいいなあ。時間とお金があればすぐにでも行きたい。

などと、何をのんきに考えているのか、お気楽だなあと我ながらあきれている。

明らかな現実逃避。でも、今は動きようがないし。

今の会社に必要とされないなら、いっそ退職して「時間」を得るのもいいかもしれない。何かの形で働かなくては、先々苦しいことは明白だけど。

仕事以外でも懸案事項は山積み。母のこととか。そのほかとか。

当面は脳内旅行で。旅の記憶を探りながら。

 

 

 


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