旅の記憶 台南(1)
病気のことばかり考えていると滅入ってくるので、気分転換に過去の旅の写真など。
私は旅が好きで、特に台湾が大好きです。(スペインも好きです)
写真は、2015年に一人旅した、台湾の台南市。
台湾鐵道の台南駅。南国の風情です。
安平古堡(台湾でもっとも古いお城のひとつ)
剣をくわえた獅子。剣獅という、台南安平地区の守り神です。
いろいろな顔があります。
これは迫力がありました。
お寺はどこも華やか。
日本統治時代の建物。林百貨店。レトロで素敵。
知らない街をひとりで歩くのは、ちょっと緊張しながらもとても楽しいです。台湾は治安が良いので、女性ひとりでも歩きやすいところです。(むろん、どの町にも夜間は近づかないほうがよいエリアはあるので、そのあたりは十分注意が必要です)
台北・九ふんは一番人気ですが、台南・高雄の南部の町もまた見どころがたくさんあって楽しいですよ。
私が旅に行けるようになったのは、ここ何年かのこと。若いころからできる環境にいたら、バックパッカーになってあちらこちら行ってみたかったです。空の下を歩きたい!
台南の旅、よろしければご覧ください。http://4travel.jp/travelogue/11027738
落ち着かない
落ち着かない。そうです、緊張しています。
あれだけのんきに構えていたのに、朝起きると胃がきゅっとする感じがします。ストレスでまた胃潰瘍?まさか、がんが進行したのかな。最初に胃がんと言われてからすでに2か月半。いくら早期がんで(今のところ)転移は見えない、と言われても大丈夫かなと心配になってしまいます。手術日程を決める際、食道胃腸外科の医師に「そんなに先でいいのですか?」と聞いたのですが、「そんなにすぐ進行するなら、切れませんよ(苦笑)」的なことを言われました。最初にかかった消化器内科の先生はとても感じよく、丁寧に説明してくれたのですが、外科の医師は正直あまり良い感じではありませんでした。いや、説明すべきことはきちんと話してくださったのですが、どうもビジネスライクというか、なんというか。気持ちの弱っている患者に寄り添う、という感じではなかったですね。自分の仕事を淡々とこなしている、というか。まあ、手術と言われてこちらは平静な気持ちではいられなかったので、受け止め方がネガティブになってしまったのかもしれません。それでも、開腹してがんを切る、というのは外科医にとっては日常の仕事、でも患者としては一生に一度あるかないかのつらい出来事、その温度差を配慮してくれるのを医療者側に期待するのは間違っていないと思うのです。
早く終わってしまわないかな。さっさと切って、抗がん剤なしで済んで、早く日常生活を取り戻したい。つらいなあ。
こういうものが早く飲めるようになりたい・・・ずいぶん先ですが (TT)
気持ちを支えるもの
連休も終わりました。次女夫婦もいったん帰り、また静かな一日となりました。孫ちゃんが来ているのは楽しいのですが、ずっと一緒にいるのもちょっと疲れてしまいます。
「去(い)にてよし 来てよし 孫の夏帽子」という俳句があります。(作者名を失念しました)
昔、母に「こんな句があるよ」と見せたら(確か新聞に載っていたのではないかと思います)、「ああ、これはよくわかるわ」と言っていたのですが、今になって私も実感しています。孫たちはかわいいし、いっしょに遊ぶのもご本を読むのもお出かけも楽しい。でも、それがずっと毎日だとちょっと疲れるなあ。自分の生活ペースを大事にしたいから。時々遊びに来てくれるくらいがちょうどよいです。娘たちの子育てには基本的に口を挟まないことにしているので、なおさら、ね。
ただ、今回は私の手術・入院後のヘルプに、また次女が来てくれることになっています。感謝!ありがたいことです。
結婚して30数年経ちました。長年の社宅住まいを卒業してやっと自分たちの家を持つことができ、夫婦ふたりの気楽な生活がペースに乗ってきたところです。4人のこどもたちはそれぞれ結婚して独立。教育費と家関係のことで、ずっとずっとマイナス家計だったのが近年ようやく一息つけました。自由に旅行などに行くようになったのもここ数年です。だから、もう少し、自由に遊びたい、いろいろなところへ出かけたい!
の、矢先に胃がんとは・・・なかなか思うようにならないものです。しっかり治して、また旅行記をアップできるようになるぞ!それが今の私の気持ちを支えているひとつです。
スペイン トレド(2016年秋)
仕事最終日
本日をもっていったん休職。正確には残っている有給休暇をすべて消化して、それ以降は休職という扱いになる。
末日絞めの請求やら、月次の提出書類やら、1日は月初の一番忙しい日だと言うのに(私は事務方で、請求データを作って本社経理部に流したりしている)わざわざ、本社へ来い、とのお達しあり。えー。
当社はガテン系業種の中小企業。オーナー社長のワンマン経営で、業績はそこそこ悪くはないものの、社長のワンマン度が過ぎて、筋が通らないことでもそれに対してきちんと意見を言える役員などは皆無。平たく言えば、上層部はイエスマンとご機嫌取りの得意な人間ばかりである。だから、若手や中堅の仕事のできる人間は次々に辞めていく。それを引き留めない。「社風に合わない人間はいらない」そうである。だから在籍10年超の社員は1割いるかどうか(私もその一人だけど)。
社長がパソコンが嫌いだから(今時!今時!ありえないでしょう)、本社と支社間のデータのやり取りはほぼファックス。コピー用紙の使用量とファックスの送信カウントは半端ない。「紙はどんどん使うように」という時代錯誤の「地球に優しくない」会社なのである。もちろん、パソコンは使っているし、業種専用のシステムソフトも導入されていて、対外的には普通の会社に見えるが、内情はパソコンで作ったデータをわざわざ手書きして社長に報告をさせられるという二度手間、時間の無駄を強要されている。(そのくせ「無駄取りコストダウン委員会」みたいなものが作られている。わけがわからない。ファックス止めて本社支社間のオンラインのやりとりで済ませればいいのに。)
閑話休題。わざわざ本社に行かなければならないのは何事かと思えば、休職手続きと健康保険の傷病手当金の説明だった。人事部がないので、支社担当の部長からの説明。もっとも苦手とする部長なので(パワハラで有名)、ICレコーダーを用意して身構えていったのだが、なんということもなく「お大事に」で終わった。ほっとした。
ICレコーダーなんて大げさな、と思われるかもしれないが、いやいやブラック企業の端くれを誇る会社、何が起きるかわからないので念のため(無許可で録音しても民事ではちゃんと証拠となるそうな)。
支社に戻り、残務の整理と引き継ぎをして、ロッカーと給湯室においてあった私物をまとめて、それではまたね、と皆さんに挨拶した。支社は支社長はじめ皆いい人でとても働きやすい。私が一番の古株なのだが。
「頑張ってね」「お帰り待ってますよ」と声をかけられて嬉しかった。少人数なので、病気のことは皆知っている。支社長がわざわざ玄関の外にまで出て見送ってくださった。I'll be back!
さあ、いよいよだ。緊張する。頑張るぞ。
母に会いに
週末、実家に帰ってきた。新幹線で数時間。
母は膵臓がんを患っている。手術からもう2年になる。予後が悪いと言われる膵臓がんだが、80歳をいくつか過ぎても頑張っている。前向きなひとだから、がんもなかなか進行しなかったのかも知れない。ただ、もう抗がん剤はやめた。肺にも胃にも転移している。そういうことだ。
同じ市内に、私の妹と弟夫婦が住んでいるので、任せっぱなしである。心苦しいがどうしようもない。私ががんになってしまったから、なおさらだ。特に妹が中心になってケアマネージャーさんや訪問看護師さん、がんセンター及びかかりつけの医師などと連携をとって、いろいろしてくれている。本当にありがたい。
母の体調が比較的良かったので、妹と3人で海の見えるレストランに食事に行った。家では二人で紅茶を飲みながらいろいろ話した。母は楽しそうだった。私も楽しかった。
実は母が苦手だった。母は言葉のきつい人で、私は若いころからずいぶん衝突してきた。子供のころは叱られてばかりだった。大学に合格して、実家から脱出できることがうれしかった。結婚に反対され、結局母は折れたが、式の当日まで口喧嘩した。私の夫ともしばらく折り合いが良くなかった。本当は愛情深く、ずっと心配してくれていたことはわかっていたが、きつい言葉を言われると言い返してしまいたくなり、それが疲れるから距離を置きたくなったりした。
時を経て、ここしばらくは穏やかな関係が続いている。我が家は昨年長い社宅暮らしに別れを告げてようやく「マイホーム」を持つことができたのだが、それをことのほか喜んでくれた。私の夫についても、昔のように文句を言うことはなくなり、私たち夫婦が仲がいいことを喜んでくれている(父はとても自己中心的な人間なので、母はずっと苦労してきた)。「あんたは旦那さんとこどもたちに恵まれたね。良かったね。」と言われた。
別れ際、めったにしないハグをした。私より背の高い母だったが、すっかり痩せて小さくなっていた。5月に私は入院して手術。もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれない。涙が出た。母にも父にも、私のがんのことは話していない。とても話せない。母が一日でも長く、苦しくなく過ごしてくれるよう願うばかりだ。
仕事復帰(一時的)
タイトルの通り。今週からしばし仕事復帰。胃潰瘍が治って元気いっぱい。どこががん患者だ、というくらい。ただし、早朝からの遠距離通勤90分はつらいので(当社は8時始業)、時短勤務にさせてもらっている。おかげで睡眠時間がしっかり確保できてありがたい。
机の上は書類と伝票の山だったが、ひとつずつ片づけていくと、思いのほか楽しさまで感じてしまった。上司には、「なんか生き生きしてるね」とあきれられるほど。専業主婦もいいけれど、やっぱりもうしばらくは仕事をしていたいなあ。(病気発覚までは、早く専業主婦になりたい~などとぼやいていたのにね)。
手術まではあと一か月。半月入院として、その後最低一か月くらいは自宅で体調を戻すようにしなくてはいけないだろうとみているのだが、果たしてそれで済むだろうか。休職して、もどったら席があるのかしら。不安ではある。きっと会社員でがんになってしまった人は多かれ少なかれ思うことなのだろう。経済的な問題は切実だ。子供たちはみんな独立し、夫婦ふたりだけの生活だから、状況的にはまだ恵まれているのかもしれないが。
週末は新幹線で実家へ行く予定。母はすい臓がんの末期である。私の病気のことは父母には話していない。とてもとても話すことはできない。